戦争と平和を考える8月
平和を築く一員私たちも
記念式典の子ども代表
6日の平和記念式典では広島市立小6年の3人が子ども代表を務めた。
古市小の吉田いのり祈璃さん(12)が「平和の鐘」を打ち鳴らし、高須小の柿崎由宇さん(11)と高南小の河野和希さん(11)は「平和は世界中の人々でつくり上げるもの。私たちもその一員として一歩を踏み出します」と誓いを読み上
げた。
「次世代への平和の思いを鐘の音に乗せたい」と願い臨んだ吉田さん。被爆地広島と長崎にルーツ
のある両親が「平和を祈り、原爆の恐ろしさを伝えてほしい」との願いを込めて「祈璃」と名付け
た。
曽祖父は妹を捜して広島で入市被爆し、吉田さんが生まれる前に他界した。
「直接話を聞いてみたかった」。
曽祖父を思い、全国各地の戦跡に足を運んできた。
小学1年で東京から広島市に引っ越してきた柿崎さんは、8月6日に初めて登校した。
「なぜ夏休みに登校するのか」と思ったが、下校後に平和記念公園を訪れ「原爆で亡くなった人たちが生き
たかった未来を私たちは生きている」と気付いた。
「平和を大切に思う気持ちはみな同じ」。河野さんは小学3年の時に沖縄県の資料館を旅行で訪れ、広島と同じように核兵器に反対する人たちがいることを知った。
「平和は与えられるものではない。
戦争をひとごととせず、自分ごととして考えることが第一歩だと思います」と訴える。

「平和への誓い」
もしも「大切なもの」が一瞬で消えてしまったら、どんな気持ちになるのでしょうか。
私たちが笑い合っているときにも、尊い命が失われている現状があります。
今もどこかで、当たり前の日常が奪われています。
ぼろぼろになった制服。
黒く焦げたお弁当箱。
それは、当たり前の毎日を生きていた証しです。
昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分。
たった一発の原子爆弾が、人々の暮らしを、人生を地獄に変えました。
髪は焼けちぢれ、全身の火ぶくれが破れ、やけどした皮膚が垂れ下がった人々。
「痛いよ。苦しいよ」
「助けて、お母さん」
「死にたくない」
「助けてあげられなくてごめん」
死んでしまうつらさ。生き続ける苦しみは、想像することさえ恐ろしいことです。
私たちには、被爆体験を直接聴くことができる最後の世代として受け止める使命があります。
目をそらさず、知ろうとすること。
悲しい現実でも向き合うこと。
そこには「生きたかった人々」「生き続けた人々」の思いがあります。
私たちには、広島の子どもとして、行動する責任があります。
相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること。
平和への思いを、自分なりの方法で表現すること。
一人一人の小さな行動が、平和への後押しとなります。
平和とは、誰かから与えられるものではなく、世界中の人々でつくり上げるものです。
子どもである私たちも、その一員として平和への一歩を踏み出します。
かけがえのない「大切なもの」を、確かな希望を、未来へ届けるために。
令和8年(2026年)8月6日
子ども代表
広島市立高須小学校6年 柿崎由宇
広島市立高南小学校6年 河野和希
(信濃毎日新聞 2026.8.7)

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