経験談

子どもが主人公の学校に!(35)【いまこそ学校に希望を297】

子どもが主人公の学校に!(35) 指導性について

指揮者の指導をどうするか

~合唱をつくる取り組みをめぐって~

理性と知性を育み、すぐれた感性を身につけることは、「人格の完成」をめざす教育にとって必
須の教育活動です。
学問・科学に加え、文化・芸術を創造する活動が欠かせません。

ですから、ほとんどの学校では、文化祭・音楽会・合唱祭などの行事があるのです。
とくに音楽という文化・芸術が、共同の関係を築き深い感動を生むという点でと特別だということは前にも述べました。
また、文化・芸術は、強制されて創るものではない、子どもたちが自主的に創っていくものである、ということも述べました。

ここで、重大な問題が起こります。

クラス合唱なら、クラスの子どもたちが、クラスみんなで歌う曲を決め、自分たちで練習してい
きます。本番はもちろん、練習段階でも指揮者と伴奏者が必要になります。

伴奏ばかりは、ピアノを弾ける子にやってもらうしかありません。
私が前に勤めていた学校でも、前もってピアノを弾ける子を調べておいて、クラス編成の時に各クラスにピアノを弾ける子を配置するようにしていました。

問題は指揮者です。
合唱では、指揮者がきわめて重要です。
「カッコ良さそう! やってみたい」という子もいるでしょう。
「人前に出るのは恥ずかしい」という子もいるでしょう。
子どもたちが自分たちで創っていく合唱です。

立候補で決めるのが一番よいのですが、「やってみたい」というだけでできるものではありません。
指揮というのは、前に立って、ただ腕を振るだけではないのです。
本番で指揮をするのは、指揮の仕事の1割程度といっても過言ではありません。
9割は練習で合唱を指導することです。

まず楽譜を読まなければなりません(「譜読み」といいます)。
詩が表現したいことは何なのか、読み解かなければなりません。
それを音楽としてどう表現するのか、作曲家の意図を探ります。
呼吸の仕方、発声法、リズム、テンポ、ハーモニーを勉強しなければなりません。
指揮法も勉強しなければなりません。

幼い頃から、あるいは少なくとも何年間も勉強しなければできるものではありません。

そういう子は、地域的な差はあるでしょうが、そういう文化的な環境が少ない所では50人か100人に1人いるかどうかというぐらいでしょう。
ですからNHKのコンクールも指揮は先生がやるのです。
学校の合唱コンクールでは、公平を期するために生徒指揮でやるでしょう。
子どもが指揮をやると、放っておけば、指揮台に上がって、表情も変えず曲の最初から最後まで腕を同じ幅で振りつづけるだけになりかねません。
これではメトロノームと同じです。

多くの子どもたちは、合唱団やオーケストラの指揮を見たことがないので、仕方がありません。
まして、最近はオーケストラのゲネプロを公開することも増えてきましたが、練習をどうするかなど全く知らない子どもがほとんどでしょう。
吹奏楽部があれば、部員たちは顧問の先生の指導を受けているのでわかるでしょうが、それでも先生のようにはなかなかできないものです。
子どもに指揮の仕事を求めるのは、酷というものです。
そこで私は、音楽が好きで、自分が吹奏楽部の顧問をしていたということもあり、全く専門性には欠けるとは思いますが、その経験から次のようにしてきました。

私が、クラスや学年の合唱練習を指揮者として行います。
その練習の中で、私自身が声を出して歌います。
それを子どもたちは見て、呼吸の仕方、発声の仕方を学びます。
指揮の子には私を見るように言います。
指揮は体全体でやること、リズムは打点が大事なこと、顔の表情が大事なことなどを学ばせます。
指揮者は、音程が違っていないか、パートのバランスはどうか、言葉の発声が正しいかなどを見分けなければなりません。
そういうことも学ばせます。
それでも短期間にそれらを習得するのは困難です。
私が指揮者として概ね合唱を指導してしまいます。
そもそも子どもが指揮をすること自体に無理があるのですから。
概ね合唱ができあがってきたところで、「○○さんの指揮でやってみよう」とバトンタッチします。
私の指揮を十分に見ていますので、自分も歌いながら、表情をつけながら、からだ全体で表現し、打点をはっきりさせ、出来てきます。
そして、その指揮者なりの解釈も表現されてきます。
その指揮なりの合唱に変わってきます。指揮の子は、自分の指揮で合唱が変わっていくことを実感していきます。
指揮者と合唱団とが一体となって感動が生まれてきます。

それでいいのではないでしょうか。

「自主性を大事にしよう!」と子どもにやらせるのは大切ですが、子どもができないことを「自分でやりなさい」と言うことは、かえって子どもに負担だけを強いてしまい、子どもから文化創造と感動体験を奪ってしまうことになるのではないかと、私は思います。

子どもができないことにたいしては、教師が補う〝指導性〟を発揮しなければならないと思います。
それは、言葉で「こうしなさい!」と言ってできるものではないと思います。
教師がやってみせないと。

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